
さくら餅 小原商店
Sakuramochi Obarasho-ten
小原良一さん・吟子さん
芸者たちが行き交った城下町

新鳥町の高麗門近くにある「さくら餅」は、永年変わらぬ味を伝え続けている老舗のお餅屋さんです。創業者の小原良一さんが暖簾を守るこのお店には、さくら餅やおはぎ、お赤飯を求めて早朝から多くのお客さんが訪れます。
幼少の頃、空襲を経験した小原さんは吟子さんと結婚した後、餅屋を営んでいたお母さまとたもとを分け、ここ新鳥町で開業しました。高麗門市(現在の植木市)が開催されていた当時は、通りに数え切れないほどの人やリヤカーがごった返し、歩けないほどの賑わいだったといいます。

「昔は、昼間は三味線を弾いて、夕方になると綺麗にお化粧をした芸者たちが出て行くところがこの裏にあったとですよ」。料亭文化が花開いた昭和20年代当時は、芸妓衆の稽古やお座敷への手配をしていた熊本検番があり、新町の料亭へ足繁く通う役人や政治家、経済人の行き交う黒塗りの車で賑わっていたそうです。
店先でのおしゃべりがいつもの風景

笑顔が優しい職人気質の小原さんと、明るくおしゃべりが上手な吟子さんは、とにかくお客さんとの距離が近く、初めてのお客さんでも前から知っている馴染み客のようにすぐに打ちとけあいます。他愛もないお喋りに心がぽっと温かくなり、実家に帰ってきたような安心感があります。
「私はまっすぐかけん(私は真っ直ぐだから)」という吟子さんの人柄は地域の人々に愛され、店先はお客さんの憩いの場所として、おしゃべりに自然とお客さんも笑顔になります。「黙っとったってだめ。アゴたんがたたんと商売にはむかん(笑)」と吟子さん。「あそこには面白い奥さんがいるからと話に来られ『お嫁さんが私を最後のお風呂に入れなはる』と話しはじめたら、『それはね、若い人の油が浮いとるところにお婆ちゃんが入ると艶々になるとよ』と言って聞かせてた」お客さんはひととき笑って”胸がスーッとした”と帰り、また暖簾をくぐります。店の前を通り過ぎるお客さんのほうから声をかけてくることもしょっちゅうで、地域の人々とのつながりを感じます。

地域で愛されるお店に
「以前は近くの幼稚園や小学校に呼ばれ、食生活改善推進員と して『ごはん一粒作るのにどれだけ田舎のおじちゃんたちが頑張っているか、お母さんたちと考えてごらん』と、子供たちに食べ物の大切さや、歯磨きの大事さを伝えていた」といいます。口を大きく開けて歯の並びを見せた絵や、ハギレで作られた本物そっくりの野菜たちを作って、子供たちに会いに行くのが楽しみだったそうです。

また小学校の図書クラブで、働く親御さんたちの代わりに子供たちの宿題を見てあげたり、話を聞いてあげたりと、昔から地域には欠かせない頼りになる存在であったことがうかがえます。

恵比寿さんの福のある顔が、小原さんの顔とどことなく重なる

蒸した餅米をつく餅つき機
子供たちが安心して食べてくれるのが嬉しい

商品のすべてが手作りで、毎日早朝5時からお餅作りにかかります。小原さんが丹精込めて作るお餅は一切の保存料を使用せず、国産の餅米とざらめ、小豆など身体にいい素材のみを使用しています。人気のさくら餅は、桜の塩気と程よい甘さのあんこが絶妙で、午前中には売り切れるほどの人気振りです。やさしい味わいが多くのお客さんの心を捉え続けています。
子供たちが「おばちゃん美味しかった!」と言って食べてくれるのがいちばん嬉しいと目を細める吟子さん。”その日に作ったものを、その日に食べてもらう”ことを大事に、「今日中に食べてくださいね」と今日も変わらぬ笑顔で声をかけます。
